おこんにちは~。
そろそろ春が近いのを本能的に感じ取っているのか、朝から晩まで眠たくてたまらないはなアンニャーです。
職場でも、ウトウトどころか本気寝してしまいそうなのを必死でこらえております。
そういえば、実は今月、わたくし誕生日月なんですよ。
またひとつ、歳くっちまう。そのたびに、いろんなことを忘れてしまうのですが、忘れてはいけないこと、忘れたくない事はこのブログにそっと書き留めておきたいと思います。
今日は、もうすでに忘れかけている、与論島に移住すると決めたときにいろんな人に言われた名言集をまとめてみました。
人生の参考になるかしら?
目次
与論島に移住するということ
まず、与論島に移住する前に与論島に遊びに来ていたときのことです。
もう何度も与論島に訪れていたし、性格的に毎度同じ店に通うくせのあるわたしは同じ店にばかり行っておりました。それなりに、仲良しになりました。
今もそのお店は与論島に存在していて、今でもちょこちょこ遊びに行きます。
このお店で、次来るときは、与論島に旅行じゃなくて移住してくることを宣言したのです。
それまでは、与論島に住むよ!!と言えば、与論島の人は
「おいでおいで~」
みたいな感じだったのに、そのお店の人はまったく逆の反応でした。
名言その①「与論島で暮らすのは甘くない」
それから、いろいろと与論島で暮らすことについて熱く語られました。内容はあまりおぼえてません。最初の言葉だけが今でも心に残っておるのです。
けっこうキツイ口調で言われたので、ビクッてなってしまい、お酒も入っておったからか、わたしは恥ずかしながら、泣いてしまったのでした。
お店の人は意地悪で言ってきたのではなく、わたしのことを思って言ってくれたんだと思います。普段そんなにしゃべるひとではなかったので。
きっと、一人ぼっちで、つらくなって、嫌な事もたくさんあって、すぐに地元に帰りたくなってしまうだろうと思われたのかもしれません。
その人も島外出身の人なので、与論島で暮らすことがどんなに大変かよくわかっているからこそ、来るんなら覚悟を決めて来いと言ってくれたのだと思います。
移住してからも、あのセリフだけは忘れられなくて、何かあるたび、思い出しながら暮らしていました。負けず嫌いなもんですから。負けるわけにはいかんのです。
今では、
と、言い返したい気分ですが、相手は忘れているだろうし、あのセリフのおかげでここまで頑張れたし、心の中で言う事にします。
みんなが、いいことばっかり言ってくれるなか、いいことばっかりじゃないんだということをちゃんと教えてくれた存在はありがたかったです。
今では、与論島に住みたいという人にノリで
「おいでおいで~住んじゃいな!!」
と言ってしまうわたしですが、本気の人には本気で、
「与論島で暮らすのは甘くない」ところもいっぱいあることを、きちんと本気で教えてあげようと思います。
覚悟さえ決めていれば、どんな甘くないことがあったとしても、なんとかなるんだぞー。
忘れられない言葉なら、きっとそのときに必要な言葉なんだと思うので、誰かこの言葉が必要なときが来たら、バトンタッチしたいと思います。
与論島、とーちゃんの最後の抵抗
わたしの実家のとーちゃんは、夢追い人で自由人の超努力家です。
ここだけの話ですが?正直尊敬しており、目標です。この人みたいに好きな事を追求して生きる事がわたしの人生の目標です。
いつかは、とーちゃんを越えることが親孝行だと思ってます。
このとーちゃんは、夢追い人なので、わたしの突拍子もない行動をいつも反対することなく、見ていてくれました。
わたしが突拍子もない夢を語っても、どこからかそれに関わる人物を探してきたりして現実にしようとするんです。
そんなとーちゃんでも、娘が遥か遠い南国与論島へ移住したい!!と言い出したときは、抵抗してきました。
名言その②「今いる場所で、やりたいことを全力でやればいい。やりたい事はやろうと思えば、どこででもできる。」
じつは、とーちゃんも若かりし頃、ブラジルに移住したいと夢を持っていたけど、超絶怖いじーさまの猛反対にあい、山口県に残って今にいたるという経緯ありの男なのです。
そのとき、思ったことがこの言葉だそうで、まったく自分と同じようなことを考えた娘に、そのとき感じたことを伝えて、思いとどまらせようとしたのでした。
心のなかでは、こいつには何を言っても聞かんし、行くと言ったら行くだろうと思っていたみたいですが・・・
親父の最後の抵抗でした。
やりたいことはどこででもできる。
この言葉は、今の自分のためにある言葉となっています。別に与論島からどっかに行きたいわけではないですが、やりたいことができてるかといえば????なので、もう一度、
今いる与論島で、
自分のやりたい事、全力でやればなんでもできる!!!
とっちゃんの名にかけて!!
与論島が嫌になったら・・・かーちゃんの優しさ爆発
最後にかーちゃんのお言葉。
名言その③『帰りたくなったら、いつでも帰ってくればいい』
公務員のうちのかーちゃんは超現実主義派なのですが、わたしが子供の頃は何から何まで口うるさくて、教育ママすぎて大変でした。
成績が下がれば、部活を制限させられたり、テストの点数が悪くて隠せば、根性で探し出す。
こんなかーちゃんですが、わたしが大学生になると、なぜか途端に口出しをやめてきました。大学のときの成績が悪すぎたときも、先生から『アンタの娘、頭が悪すぎる』的な手紙が、手書きで密書のように家に送られてきたときも何も言いませんでした。
オトナ認定されていたのでしょうか???
だけど、日々の細かいところはいまだにグチグチ言って来ますので、里帰りのたんびに大ゲンカが勃発しておりますが・・・
ですが、わたしが与論島に移住すると言ったときは、さすがにお怒りになられたんですが、なんだか予感があったようで、
「いつか、こんな日が来ると思っていた。だけど、1年間だけね」
と期限付きでお許しをいただきました。このとき、サラサラ期限を守る気はなかったのですが、ズルイですが、もしも与論島で暮らすのが嫌になっても、1年間の約束だから~と山口に帰る言い訳になるからまぁいっかと思ってました。性悪ですね!!
でも、かーちゃんはわたしが与論島に行ったら、1年間すぎてもずっと与論島で暮らすだろうなと思っていたそうです。
だけど、この言葉のおかげで、わたしは
いつでも帰れる場所がある。
という安心感があるからこそ、与論島に移住できたと思うのです。
与論島移住のハードル
いろんな名言に支えられて、与論島移住という自分的に大ミッションをこなしたわけですが、
最近の若者、なんとも軽くハードルを越えてくるような気がしてならんのですが、いかがでしょう??
反対も何もされないとか、来たいと思ったから来たとか。
みんなのジャンプ力がすごいのか?ハードルがめっちゃ低いのか??
わたしがすごい考えすぎだったのか??それとも、うちがエライ過保護のはなこだったのか・・・
まぁ、でも人生において、実はもっと大きな出来事は与論島に移住することではないんだよなぁ。これからが問題。
まだ、夢の第一歩を踏みだしたところ。
実は、ここで、満足しちゃっていた自分をぶん殴りたい気分です。
ここがゴールじゃなかった。
与論島に移住したぞ!!
さぁ!!!
ここからどうするか!?
ここからが、はなアンニャーのウデの見せ所なのです。
やりたいことはある。やりたい場所はここ、与論島。
いつか、迷える子羊さん達の背中を押せるようなおばちゃんになりたいので、今から名言考えておきます。
与論島出身のユーチューバー、喜島春樹氏による与論島餃子を食べる映像ニューバージョンが届きました!!
喜島氏の食べてる様子を見ると、ものすごい食べたくなる!!と評判の食いっぷりに注目です!!!
しかし、餃子焼くのお上手ですよね~。
今日は、はなアンニャーのブログをみてこの名言を思い出したよ。
Success is a journey, not destination. 成功とは旅であって、目的地ではない。
ああ、すごい、かっこいい‼️
なにかやり続けることが成功で、立ち止まったらいかんちゅーことですな。
目的地はスタート地点‼️