与論島、わたしが人間不信になったワケ

みなさん、こんにちは。

最近、この与論島ブログがちょいとハイテクになったのにお気づきでしょうか?

ここ最近は、わたくし、はなアンニャーのコンピューターに関するすべての知識と能力と体力を注ぎこんで、この『与論島ブログ』のパワーアップ月間となっております。

寝ても覚めても、ブログのことばかり考えて、夜も眠れないわ、目玉は痛いわ、腰痛は過去最強

だけど、2018年は合同会社Ocean Line のクリエイティブ担当部門、おーしゃんラボを本格的に始動させようという目標があるのだ

 

そのためには、まず、与論島ブログを元気にして、みなさまにおーしゃんラボの存在を知ってもらうことがわたしの第一の使命だと、勝手に自分で決めつけました。

知ってもらって、仲間を増やすのが目標。

おーしゃんラボの活動内容については、またお知らせしようと思います。

プレ活動としては、ヨロンアイスクリームや与論島餃子、オリジナルTシャツなど、オリジナル商品を開発してきました。

が、そんなんも引き続きやりつつ、

今年はもう少し、人間活動的なものを取り入れていこうというコンセプトで活動します。

ぼちぼち水面下で、動き出してはおりますからね。

よろんワイン部(仮)もやりますよ~。

 

目次

与論島おーしゃんラボ最初の難関、人間関係が下手くそなワケ

 

仲間を増やしたいと言ってはおりますが、前々から書いているようにわたしは人づきあいが苦手なのです。

特にグループが苦手。特定のひととしか、話が通じあわない。

でも実は今まで黙っていましたが、これはわたしのコミュニケーション能力だけが理由ではないんです。

今回は、なぜか道徳のようなお話。

オトナになっても、人間関係というものは難儀やな・・・と思って書きました。

 

 

さて、

わたしがこうなった(挙動不審なコミュ障のような人見知り)理由は、かれこれ30年も前にさかのぼります。

30年たっても、根に持っている、儚い思い出を本日、30年のときを経てカミングアウトします。

最初から言っときますが、たいした話ではありません。こんなのは、経験した人にしかわからないものですから。

そして、もっとツライ目に合ってる人はたくさんいるんです。

 

子供の頃って、特に女子は団体行動がお好きでしょ??あれがすごい苦手だったんです。

どこに行くのも一緒。連れションとかめんどくさいのに、いつも一緒。

でも、一人もイヤ。

小学生のときのわたしは、今よりもっともっと内向的で、自分から友達なんか作れない、それはそれはおとなしく、まるでもやしのような子供でした。

だから、あっちから寄ってきてくれる誰かと、いつもつるんでいたのですが、なんでかわからないけど、所属がコロコロ変わるんです。

仲良くしていたと思ったら、理由もなく急にシカトされはじめて、別のグループへ。

その人たちも仲良しかと思って、お家に遊びに行くと、なんかわたしの悪口みたいの書いてあるし。

小学生のときのわたしは、いわゆる優等生だったので、どうやら妬まれていたらしいのです。

そしたら、また最初のグループに呼び戻されて・・・

悪口は見て見ぬフリをして、ヘラヘラ笑って一緒に遊んでいました。

呼ばれたら、ホイホイついて行きました。

今思うと、都合のいいヤツ的な存在だったんですよね。

こうゆうのの集大成がイジメとかに成長していくんだろうなって思う。だから、あえて書いてみた。今まで、誰かに言ったこともないけど書いてみた。

一人になることが、あの頃はとても怖かったんです。

今の性格なら、絶対にやらないのに、と思うと昔の自分にめちゃくちゃ腹がたちます。

おかげさまで、こんなヤツになりました( ´∀` )b

元々、こう見えて、はっきりと言いたい事が言えない性格なので、いつも後からモヤっとすることが多いんです。

最近は、言いますけどね。言いたい事言わないと、スッキリしないし、何も解決しないこと、オトナになって学習したんで。

言った後のワキ汗はスゴイですけど・・・。

 

だけど、こんなことを小学生のときに経験したものだから、それ以来、人間ってなんだろう・・・と思うようになった若き日のはなアンニャーです。

この辺で、まず、人間苦手になりました。

 

だけど、これを言っちゃったから、スッキリした。

話はちっさいけど、なんか気持ち悪くて、ずっと心のどっかにひっかかっていたしょーもない過去の話、読んでくれてありがとうございます。

 

本当の友達ってどんな人??

 

人間不信に陥った直後、

じつは転機が訪れます。

ものすごい、わたしにつっかかってくる、謎のゲームおたく女子が現れたんです!!

そいつは、なにかとからんできては、わたしを怒らせてくる女でして、今思うと、なんだったんだろう??って感じですが、その頃から、内向的な自分が少しずつ変わっていきます。わたしも負けじと、そいつにつっかかって行くようになります。

そして、いつのまにか、その女の子とは大の仲良しになっていました。

 

これと同時に、

いじめとは行かないまでも、女子共の妬みと、謎の行動に嫌気がさしたはなアンニャーは、この頃、

オトコみたいになりたい。

と思うようになり、服装も言動もオトコのようにふるまうようになりました。

髪の毛は常にベリーショート、絶対にスカートははかない。自分を呼ぶときはボクとかオレ。&がにまた。

背も高いので、見た目は完全にオトコでした。

女子トイレにいたら、いつも不審な目で見られていました。

これが、高校生まで続きます・・・・・いや、大学生になっても友達の彼氏と間違えられていたので、ふつうに男前だったのかも!?

いやいや、今も、酔っ払いには「あんた、オトコだ!!」って言われるから!!

 

中学生になったあたりから、本当に活動的になっていくはなアンニャー。

中学、高校の頃はソフトテニス部に所属し、雄たけびをあげる、めっちゃ怖いテニスプレーヤーとして、地域に貢献しました?

友達も、ぼちぼちできるようになりました。

正直、ソフトテニス部に入ったのは、最初に親友になったゲームおたく女子のとーちゃんが

「将来、役に立つのはテニスだけだ!」

と、よくわからない助言をくれたので、適当にソフトテニス部に入っただけなんです。

けど、顧問の先生が超スパルタで3年間、エライ目にあったんですけど、それなりに結果も残せたので、今となっては感謝しております。

スパルタ加減は、今だったら問題視されるレベルだけど、昔はそれが普通だったんだよな~・・・全身アザだらけ。

でも、あの先生は「お前ならできる」って言ってくれるひとだったから、救われたような気もする。

 

こんな風に、友達ひとりで、こんなにも見える世界が変わったソフトテニスプレーヤー時代。

友達って、ただ一緒にいればいいって関係じゃない

 

気を使わない友達ができると、人間不信は、ぼちぼち薄れていきましたね。

 

友達は、いざと言うとき、自然と大活躍してくれるひと

 

人間不信を克服したかと思われた、中学、高校時代。

田舎はずっと、同じ友達が学校にいますからね。まぁ、なんとかなったんです。

そして、高校を卒業。

『大学に入ったら、どーせ勉強はできないから、できなくていいから、友達だけは作りたい』

と思って未知の世界、神戸の大学へ単身乗り込みました。

寮だったので、そこでは友達できたんですけど、なんでか薬学部にはほとんど友達できないという事態。

合気道部に入部したので、いろんな学部のひとがいました。その人たち(ふたり)とは友達になれたので、なんとか4年間、ツライ大学生活を耐え抜いたと思います。

結局、友達いなかったら、途中、学校やめていた、とゆーか。留年するレベルの成績だったのを、合気道がやめたくない一心で、追試合格しました。

部活やってなかったら、死ぬ気で勉強してなかったと思う。

結局、人間不信と言いながらも、大事な場面で自分を助けてくれる友達がいてくれるのは幸せなことだなと、

書いてて思います。

助けてくれた、

とゆーか、その人たちと離れたくなかったから頑張れた。

友達って、何もしなくても自分のチカラになってくれる

もう、人間不信は克服できたかなぁ・・・?

 

結局、友達を作るためには??

 

ずっと、友達がほしい、仲間が欲しいと言ってきましたが、

結局、自分から飛び込んでいかないと何も起こらないんですね。

これ、友達だけじゃなく、いろんなことに関しても、あてはまることなのですけど。

願望があっても、その中に入っていかない限り、その願望がかなうことはないです。

逆に、自分でその場を作ってみることもいいと思うんです。

 

与論島に来て、結婚して、あまり外に出ることがなくなり、また最近、人間不信とまではいきませんが、ヒトに対して苦手意識がでてきてました。

そしたらまた、おどおどなってます。

 

慣れたら大丈夫だと思うんですが、リハビリが必要でした。

それが、このブログ。ツイッター。おーしゃんラボ。

こんなの、今までの自分なら絶対やってなかった。不信感しかなかったはず。

けど、やってよかったヽ(*´∀`)ノ♪

みなさん、いつも、読んでくれて、本当にありがとうございます。

 

何かを成し得たいのなら、自分でどんどん飛び込んでいかないと、奇跡は起こらない。

そんな場所をつくることも大事。

 

 

そういえば、すみません。

オーシャンマーケットにいるときに、

このひと、ついったーのあの人じゃなかろうもん??ってヒトが来ても、こっちからなかなか話しかけられないんです。

それどころか、

話しかけられたら、すぐさま挙動不審モード突入!!する自分。

なんで、いつもこうなんだろう??

 

と、こないだ、話しかけられたときにテンパったので反省して、自己分析をしてみました。

すると、わたしの特殊能力が判明しました。

 

まず、知ってるヒトかもしれないヒトを見かけて、話しかけなきゃ!!と思った時点で、妄想のなかで、もう話しかけてしまってるんです(実際は対面してない)。

で、万が一、幸いにも、あちらサマから話しかけられたときは、すでに

なんて話したらいいかわからん、どうしよう・・・・

というパニック状態。だから挙動不審になってるんです。

超自分勝手な妄想型超先走り思考能力搭載のはなアンニャーですが、

興味がある方はぜひ、できれば声をかけてください・・・・

 

 

病院にいるときなんか、『話かけないでくれオーラ』が出ていて、話しかけられないと何回か言われたことがあるんですが、

ちがいます。話しかけないでくれ、じゃないんです。

わたしが心配してるのはその先。

話しかけられたらどうしよう・・・と先をよんで、妄想モードに突入してるだけなんです・・・ついそこまでの先見の目ってやつですか??

話しかけないでくれオーラを感じたときは、すでにわたしの中では会話が始まっています。

 

だから、どんどん話しかけてくださいまし!!

 

だけど、先をよんでるので会話が成り立つかどうかが微妙なところなんですよ、わたし・・・

 

 

 

2 件のコメント

  • 私は19才の時、初めてヨロン島に行き感動しました。青く美しい海と珊瑚礁。夜空は怖いくらいの沢山の星が、光輝き、3年連続で行きました。
    あれから30年、ハワイ、サイパン、オーストリアなど行きましたが、やはりヨロン島が一番❗❗❗
    無理だけど移住したいな~と、妄想してます。
    いつか移住したい。もう一度ヨロン島に行きたい。
    ヨロンの不思議な魅力にハマり、妄想だけど計画してます。

    • こんにちは。コメントありがとうございます。
      わたしも、最初に与論島を訪れたのは22歳のときでしたが、それから与論島の魅力にはまってしまい、とうとう住んでしまいました。
      ぜひ、また与論島に遊びに来てください!!お待ちしています。
      30年前の与論島はどんなんだったのか聞かせてください!!昔の与論島はイメージしかないので・・・
      与論島に遊びに来たら、
      ますます移住したくなって、いつか実現するかもしれませんよ~。

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    【人見知り与論島全力案内人】 22歳、初めて訪れた与論島に運命を感じて、26歳で山口県から与論島に移住→そのまま、結婚してかーちゃんになっちゃった!! ワイン大好きぴちぴちのアラフォー薬剤師。 与論島の旅行や移住、田舎暮らしについてブログで全力発信中。 ツイッター、インスタグラムもやっています。