こんにちは。
はなアンニャー(@hanadeso3)です。
与論島に移住して15年がたちます。
その間に、結婚して、出産して、子育てをしているわけなんですが、ちょっととまどっていることがあります。
こんなに自分が子どもの頃、お父さんお母さんが来る行事多かったかなー???と思うくらい、学校行事が多いのです。
強制参加ではないと思いますが、子どもの晴れ舞台ならばどーにかして行きたいもの。
でも、これが都会で両親ともに共働きしていたら、参加できるのかどうか・・・
ちなみに、うちは両親共働きで、参観日などはいつもおばあちゃんが来てくれていました。
家庭訪問もです。
でも、与論島はお父さんもお母さんも行事出席率が高く、かなりPTAが協力的な環境です。
子どもたちにとっては、子育てのいい環境な気がします。
さて、今年、うちの息子くんの年祝いがありました。
数え年で13歳のお祝いです。
地元ではそんなお祝いなかったし、そういえば、与論島ではやたら年祝いが多いし、島外からもわざわざ帰ってきてパーティーをしているようなので、年祝いについて調べてみました。
目次
与論島の年祝いの種類
与論島で行われる年祝いは、沖縄のものとほぼ同じです。
沖縄や奄美地方以外では、年祝いは61歳(還暦)から始まり、70歳、77歳、80歳、88歳、90歳、99歳を祝いますが、
与論島の年祝いは、数え年で、13歳、25歳、37歳、49歳、61歳、73歳、85歳で行われます。
十二支が巡ってきた年齢を祝うのがこの地方での一般的な年祝いになります。
特に、49歳のときは盛大に行われ、島外からもたくさん帰ってきます。クントゥグジューと呼ばれる年祝いです。
なぜ、本土では13歳から49歳までの年祝いがないかというと、この各年齢が厄年とされている地域があるからだそうです。
数え年とは、知ってるようでみなさん知らないでしょう?
わたしも調べるまで知りませんでしたよ。
数え年とは、生まれた日を「1歳」と数え、正月(1月1日)が来ると歳をとるという数え方です。
なぜ、生まれたときから1歳かというと、お母さんのおなかのなかで赤ちゃんは命を宿しており、その期間も年齢として考えるので、生まれた時点で「1歳」とするようです。
また、はじまりを示す数字に「0」は使わないという理由もあるそうです。
例えば、小学生が小学0年せいではなく小学1年生から始まるとか。
そして、お正月に歳をとるというのは、お正月には歳神様が来るといわれており、お年玉をもらいます。
お年玉をもらうということは、歳神様から1年分の力をもらうということなので、1歳歳をとるということになります。
数え年が何歳か計算するときは、
誕生日前 → 満年齢+2歳
誕生日後 → 満年齢+1歳
与論島、十三祝いで子どもの成長に涙する
さて、今回参加したのは、長男の13歳のお祝い、十三祝いでした。
初めての年祝いということになります。
十三祝いはどちらかというと、女子のお祝いのようですが、与論島では男女関係なく、平等に祝います。
わたしは経験がないので、一体どこまで厳かなものなのか見当もつかず、どんな格好していいのかもわかりませんでした。
与論島では、各小学校ごとに、十三祝いを行います。
息子の小学校は、プリシアリゾートヨロンでPTA主体で行われました。
今までお世話になった担任の先生や、転校していったお友達も詠んで盛大だったのですが、町長さんが来るまではなかったです。
あくまでも、PTA主催の子どものための行事といった感覚でした。
でも、1年前くらいから、実行委員のひとが準備してくれて、大変そうでした。ありがとうございました。
子どもたちの生い立ちムービーには日頃、泣かないだんなさんも泣きそうになっていました。
日頃、家で見ているので、どれだけ成長したのか実感わかなかったですが、ムービーで見た小学校の入学式のときの小さかったのを見たら、感動してしまいました。
子どもたちからの両親への手紙なんかもあって、感動的でした。
子どもが、将来、自分のやりたいことがなんでもできる人間になるために、大人がもっとがんばらないといけないな!!
と、親が考えさせられるとてもいい年祝いでした。
子どもたちも久しぶりのお友達に会ったりと、幸せな時間を過ごせたようです。
5年生になって、ずっと十三祝い十三祝いと言われてきたでしょうから、肩の荷もおりたことと思います。
みんな、おにいちゃんおねぇちゃんになってる!!!!!
プリシアリゾートヨロンの食事は、バイキング形式でした。
メニューをチラ見せ。
十三祝いのオリジナル巨大ケーキも作ってくれていました。
服装は、男親はスーツ、女親はこぎれいな結婚式のときの格好の少し軽い感じでした。
そんなにかしこまった雰囲気ではないので、親がやりすぎてはいけない感じです。
もちろん、祝杯、与論献奉的なものはあります。
あくまでも主役は、子どもたち!!
次回、十三祝いに参加される方がいたら参考にしてください。
そして、盛大な二次会へと進むのです・・・・・
与論島外から来た人は年祝いってあるの?
わたしのような、島外から移住してきたひとの年祝いはどうなっているのでしょうか?
わたしが与論島に移住したのは、26歳のとき。
とゆーことは、すでに37歳の年祝いというのは終わっていることになります。
はい。呼ばれていませんし、あるのも知らなかった今日この頃ですよ。
いや、別に呼んでくれと言ってるわけではないのです。
逆に、呼ばないでください。
わたしのように、同じ学年のひととあまり交流のない移住民には、年祝いとかはあまり関係ないです。
元々、地元ではない行事ですし。
それに、知らない人のなかに入っても、昔話もできないし、人見知りだし、正直、これからも呼ばないでいてほしいです。
でも、最近の移住民の方は、結婚式の準備などで、だんなさんの同級生と自分と同じ学年のひとたいが集まって、協力しているのを見たりするので、そういうつながりがあるのであれば、呼ばれると思います。
これは、移住してきて、どんだけフレンドリーに暮らすかにかかっているのではないでしょうかね?
次の与論島の年祝いは25歳成人になってから
一三祝いが終われば、次の年祝いは25歳になります。
そのときには、もう成人になっていて、なにかしら仕事をしているひとも多いでしょう。
今回の一三祝いでは、将来の夢がまだ決まっていないという子どもたちが多かったのですが、これから自分の本当にやりたいことを見つけて実現できるように、導ける大人でありたいです。
一三祝いは子どもの成長を祝うイベントではありますが、親が気合入れなおす機会でもあるようです。