与論島 出産はただの始まり・・・ここからの子育てが本番です。

こんにちは。

はなアンニャー(@hanadeso3)です。

与論島には産婦人科の先生も常駐していませんが、小児科の先生も常駐していません。

普通のお子さんは、風邪をひいたときに薬を飲むくらいですが、うちの子は違いました。

生まれたときから、薬を何種類も飲まなければいけませんでした。

さてさて、切迫早産を乗り越えて、未熟児として生まれてきた息子の話をしましょう。

 

目次

未熟児、NICUに入院する

 

息子は、妊娠8ヶ月(30週)で生まれ、そのときの体重1682g。低体重児というやつ、いわゆる未熟児です。

即、保育器行き。呼吸できただけでも奇跡的でした。

小さすぎるので、大きくなるまで赤ちゃんだけ入院です。

私は産後1週間入院。その間、産婦人科からNICUに通うのですが、

帝王切開のときの麻酔の副作用で、ものすごい頭痛に見舞われて歩けなくなり、車椅子で行ってました。

わたし、この入院で使った薬のありとあらゆる副作用を経験しております。

帝王切開になる前に、感じた痛みは実は陣痛だったようで、陣痛をおさえるため先生が何種類か薬を使ってくれたのですが、効果はまったくなかったみたいです。

一週間後、私は病気ではないので退院しないといけません。

赤ちゃんはしばらく入院しなければいけませんが、ほったらかして与論島に帰るわけにもいきません。

沖縄でアパートを借りて一人暮らしをすることになりました。

与論島 子育て応援

沖縄でお産の与論島の妊婦さんは、お産まで何も問題なければ、1ヶ月くらい前から沖縄で生活するアパート等を探さなければなりません。

親戚の人などが沖縄にいてくれると助かるのですが、病気でもないので入院もできません。

これが、結構経済的、精神的負担になるのです。お産の前の通院も必要です。

そこで、与論島のお母さんが立ち上がったのがこちら→→よろん出産子育て応援隊あんまぁ~ず

と、ゆーわけで、

私の場合、お産前のアパート探しはしなくてもよかったものの、お産後に突如、アパート探しをするはめに。

里帰り出産のつもりだったので、沖縄のアパートなんてノーマーク。

ラッキーな事に、病院のすぐ近くに一室だけ空きを見つけたので、そこで1ヶ月ほど、一人暮らししました。

ほんとにアパートが見つかって、ラッキーだった~。

面会時間が決まっているので、病院にずっといるわけにもいかず、乳が出なくなったらいけんので、自分もご飯食べないといけないし、どんだけお金がかかるかもわからんし、ひたすらアパートで乳を搾って凍らせて、病院に運んでを繰り返しました。

あとはじーっとしてました・・・・。無駄な体力を使ってはいけないと思って。

 

低体重児、貧血、くる病、網膜症・・・・

 

子供と会えない時間、部屋にこもってテレビも見ないでいると、この間、ずっと悩んでしまうんです。

自分が、あの時走らなかったら、重たいものを持たなかったら、仕事をやりすぎなければ・・・・・

与論島タラレバ娘でした。

ほんとに、自分を責めてしまう毎日、同じ状況になったひとのブログを読むと、みんなそうで自分を責めてしまうみたいです。

わかります。わかりますよ。

そして、救いにもなりました。自分と同じ境遇のひとがたくさんいる。

このとき、まさか自分が書くことになるブログに救われていたとは・・・ブログ、最高です。わたしも誰かを救うブログを書きたいです。

産後うつとも違う、赤ちゃんに対する罪悪感で落ち込みモード全開。今ではすっかり忘れていたけど、あの罪悪感は半端なかった。

低体重出生児は、感染症、貧血、くる病、網膜症・・・・・といろいろな症状が起こる心配があって、

生まれてすぐなのに、いろんな種類の薬を飲んでいました。かわいそうですよね、おっぱいもまともに飲めないのに。

その症状が出ないように出ないように願って、毎日、暮らしていました。

順調には育っていました。1回、ちょっと嘔吐して胃の管を入れられたとき、呼吸が弱くなって呼吸器をつけられたり、黄疸が出るというトラブルも起こしましたが、なんとか病院の外でも生きていける大きさになりました。

それでも、他の子と比べたら、小さかったですけど。

一ヵ月後、一定の体重と週数が過ぎて、息子は退院します。

特に、問題なく、恐れていた未熟児合併症もなく、無事、与論島に帰ることができたのです。

 

退院後も、未熟児の後遺症の恐怖との闘い

 

退院しても、定期的に病院には通いました。

薬は継続して飲んでいましたが、途中副作用が出て、中止になった薬もあります。

何歳かの健診のときに、お医者さんに

「少し、話すのがおそいね?脳の精密検査してください」

とか言われた日にゃー、もうパニックでしたね。何を検査するんじゃいと逆切れしそうになりました。

何かあるたびに、不安になる。

これが、未熟児を産んだ後も付きまとうんです。どこかで、後遺症が発症するんじゃないか・・・

でも、うちの子なら大丈夫!

そう信じて、あれから10年。

息子は、おデブ・・・じゃなくて巨漢になりました。

はなアンニャー
あんな小さかった未熟児が、なんでこんなぷよぷよのぽっちゃりになったんだ・・・

生まれた頃を知っているみんなが、太りすぎた息子を見て、必ず思うことです。

 

子供は島の宝

 

息子が生まれて、2年後に、妹が生まれるのですが、

これがまたびっくりの超安産で。

ちなみに、息子が帝王切開で、娘は自然分娩を希望するブイバックという出産でした。

二人目は、妊娠初期に子宮頚管を縛る手術をしていたので、それをほどくために1ヶ月くらい前から入院していました。

ほどくといつ生まれるかわからないのでずっと入院していました。

今回も、後半はまた子宮頚管が短くなっている、だの、もしかしたら指がないかも、だのと健診で言われていました。

指がないかもしれない、と言われたときはもうショックでショックで・・・・また、誰かのブログを読み漁りましたよ。

 

ですが、妹のほうは予定日をすぎると、普通分娩できなくなるから帝王切開になるのに、いっこうに生まれてくる気配がない。

予定日直前に陣痛キターーーーーー!!!!!

このとき、またもや、持ち前の我慢強さを最大限に発揮しまして、朝からずっと腹が痛かったけど、誰にも陣痛だと気づいてもらえず、夕方まで放置される始末・・・

いざ、陣痛室に入っても、申し送りの時間とかぶってほったらかされ、誰の立会いもなく、あっとゆーまの出産。

正直、痛みの段階が上がっていく感覚も分かったし、これ以上はないとか冷静に痛みを分析していました。

まさか、こんなにはやくうまれるとは思わず、誰も付き添いのひとは間に合わず・・・(余裕ぶっこいて、宿でゆっくりしてた)

挙句の果てに、出産直後にもかかわらず、看護師さんに

「あなた、元気そうだし、体力残ってそうだからいけるでしょ」

と、赤ちゃん隣に連れてこられて、すぐにお世話開始。

一回目と違いすぎるこの展開・・・・

はなアンニャー
ほんとに出産て何があるかわからん!!!!

と、しみじみ思い出す今日この頃です。

娘も、出産後は黄疸だの甲状腺の値がおかしいだの、いろいろと問題は起きました。

 

未熟児で生まれても、正常に生まれてもおんなじだなと。

ほんとに子供は宝。

安心して出産することも大事だけど、その後の子育ても大事です。

与論島は、子育ては比較的やりやすい島だと思います。

教育機関も高校までしっかりありますし。こどもえんもたくさんあります。

なにより、おじいちゃんおばあちゃんがたくさんいてくれるのは、将来の子供たちのためにもなると思っています。

家族だからではなく、島の人全体で子育てしてるイメージあります、与論島は。

子供は宝!

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

【人見知り与論島全力案内人】 22歳、初めて訪れた与論島に運命を感じて、26歳で山口県から与論島に移住→そのまま、結婚してかーちゃんになっちゃった!! ワイン大好きぴちぴちのアラフォー薬剤師。 与論島の旅行や移住、田舎暮らしについてブログで全力発信中。 ツイッター、インスタグラムもやっています。