こんにちは。
与論島で働いてる?遊んでる?ぼーっとしてる、はなアンニャー(@hanadeso3)です。
そういえば、子供の頃はいろんな人に、
「はなちゃん、いつもぼーっとしてるね」「眠たいの??」
とよく言われたものです・・・すみませんね、こーゆー顔です!!
さて、今回は、はなアンニャーのプロフィール社会人編を書いてみました。
わたしは、薬剤師という仕事をしています。
正直、与論島に来るためにわたしは薬剤師という資格をとったのではないかと思えてきました。
目次
与論島に来る前は、地元山口で落ちこぼれ薬剤師として働く
もうね、いつもだんなさんに言われるんですけどね。
オーシャンマーケットでの働きぶりが、えらい残念すぎるらしく、毎日こう言われてます・・・・
失敬な、病院ではちゃんとやってる!!!・・・・・多分・・・・うん、どうだろう・・・
自分ではやれてると思っても、オーシャンマーケットでそんなに言われたら自信がなくなってきたけど、どうだろう・・・
まぁ、いっか。一応、頑張ってます。
しかし、わたしが社会人1年目は、精神的につらすぎました。
わたしの初めての就職先は、地元の個人病院のなかの薬局でした。
大学院に合格できず、かーちゃんがコネで探してきた完全なる家族経営の病院でした。理事系はみんな家族。部署の長もみんな家族。とゆーか、ほぼ医者の嫁さん。薬局長も、副院長の嫁でした。
わたしの薬剤師1年目は、
本当にびっくりするくらい何もできないで、先輩薬剤師のお姉さま方にずいぶん怒られたり、嫌味を言われることも・・・
言われて、トイレに駆け込んで、ドアを殴りながら泣いたこともあります。
ふたりの方針の違う先輩の板ばさみにあって、どうしていいのかわからなくなったこともありましたね。このときの経験から、自分が上の立場になったら、絶対にふたりでは教えない!!と心に決めたもんです。
こういうことは、今から社会に出るひとは少なからずありますからね。
特に、薬剤師なんて女社会なので、メンタルが強くないときついと思います。
最初も1年間は、ずっと仕事をやめたくてやめたくて、
状態でした。
だんなさんの察しのとおり、不慣れなことはまったくできない、不器用な女なのです。
しかも、しばらく続けないとおぼえられないし・・そうです。元々、要領が悪い女なのです。
なので、社会人1年目は、何回言われても、何をどうしたらいいのかわからず、先輩も怖くて、いつもビクビクしていました。
それでも、耐えれたのは地元ならではかもしれません。
その病院には、小学生のときから知っている同級生がふたりいてくれたから、なんとかなったと思っているので、そのふたりにはとても感謝しています。
与論島初上陸で、転機が訪れる
そんなとき、職場の別の先輩について行ったのが、与論島でした。その先輩は、同じ薬局につとめる事務系のひとだったんですが、毎年ダイビングをしに与論島に行くのが日課でした。
このとき、薬剤師1年目。まだまだひよっこだった自分。
与論島なんて、日本の島かどうかも知らなかった。
ただ、仕事が休みたくてついていったようなもんでした。
それなのに、与論島におりたった瞬間、妙ななつかしさを感じて、
という、初めてとは思えない、なんとも不思議な感覚におちいったのです。
と同時に、
という、勝手な思い込みが発生したのです。
さらに、追い討ちをかけるように
先輩のお姉さま方が次から次へと寿退社していき、いつのまにか自分しかいなくなる。という奇跡が起こりました。いきなり、3人やめちゃったんです。
それまで、先輩がやっていた仕事をほぼ全部やらされるハメになり、しょうがなく、やるしかなくて、ここから急成長をとげます。(と自分で思っています)
まさに、与論島に行ったのは奇跡。
薬剤師になってなかったら、与論島に行ってなかった。
大学院受かってったら、与論島に行ってなかった。
その病院に就職していなかったら、与論島に行けてなかった。
ポジティブシンキングなので、すべての今までの失敗だと思っていたことをポジティブ変換し、ますます与論島への情熱が高まっていったのです。
与論島にどんどんはまると同時に、薬剤師としての成長期始まる。
わたし、思い込みが激しいのは自分でもよくわかっています。
一番最初に行ったのが、与論島だったから与論島に住みたいと思い込んでしまったのではないかと自分で自分に問いかけてみたわけです。
という、心の声に誘惑されるがまま、
利尻島、横浜、秋田県、与那国島、石垣島、熊本、岡山、四国、大阪、神戸・・・・なにかと理由をつけては、日本じゅうを飛びまわるようになりました。
もう、最初の理由は忘れてしまい、旅というものが大好きになっていました。
ほんと、今思えば、わたしいつ仕事していたんでしょう・・・ってくらい旅をしました。
こんなに遊んでいたので、与論島に移住してきたときは、貯金はゼロです。
でも、この遊びまくったおかげで、自分が何をしたいのかはっきりしたし、ますます与論島への移住を夢見るようになりました。
ほんと、旅先ではいろいろな人生勉強ができたと思っています。
自分が何をやりたいのか、何になりたいのか。どういう暮らしがしたいのか。
出会いもまた、たくさんありました。自分が行きたいところには、自分とよく似た価値観のひとと出会えるんですよね。まぁ、大体変わり者が多い印象でしたが。
いろんな場所を旅したことは、正直、薬剤師として働いたことよりも、自分の人生の中の大事な部分になっています。
本当に、与論島にくるために薬剤師になった。
そんな感じの山口県時代でした。
そして、そんな山口を拠点に、旅する薬剤師として成長していったのです。
そして、4年後。
後輩が育ち、仕事が一区切りしたところで、
とうとう、決意をかため、与論島移住する運びとなりました。
薬剤師としての苦悩・・・
で。
結局、今も与論島でも薬剤師をやってるわけですが、最初の頃はこの『薬剤師』という仕事が大嫌いで、早く引退したいとも思っていました。
薬の名前は覚えられないし、病院の仕組みも興味がない。
そして、なにより
薬剤師は、自分の意思では何もできない。
というのは、昔から感じていて、
わたし、目の前でけっこういきなり、知らない人が倒れて救急車呼んだりする場面に遭遇することが多いんですけど、そのとき、お医者さんや看護師さんだったら、何かしら処置できるのに、薬剤師は呼ばれもしないし、役にもたたない。
薬も、医師の処方箋を見て調剤します。たまーに、お医者さんが間違いをしでかしてるとき、発見して厳重注意をくらわしたり、もっといい方法を提案したりするのが仕事です。
でも、実際に患者さん自体には、何もしないのが薬剤師なんです。
かーちゃんが、昔
「薬剤師は、医療職でいちばんキレイな仕事だよ」
と言っていたのを、思い出します。
キレイなおねえさんが多いのが薬剤師、という意味ではなく、直接触ったり処置したりすることがないという意味です。
ほんとは直接、患者さんの話からいろいろな情報を聞き出したり、まったく触らないというわけでもないのですが、病気を治したり、楽にしてあげることはできません。
これは、世間の薬剤師お悩みポイントだと、勝手に思ってるんですが、みなさんどうなんでしょう?
飛行機で、もしも
「この中に医師か看護師の方いらっしゃいませんか!?」
と言われても、動かないですが、なぜか、
「この中に薬剤師の方いらっしゃいませんか!?」
と言われても、名乗り出れない気がするなぁ・・・
堂々と、薬剤師です!!って言えるかなぁ???
与論島で薬剤師・・・これからはもっと肩書きを足していくのが目標
薬剤師になったのは、与論島に来るきっかけでしかなかった。
と言ってしまうとアレですが、別に資格持っているから、それにこだわる必要もないよな・・ともずっと思っているんです。
薬剤師という肩書きに縛られて、他の仕事ができないなんてそれもおかしい話です。
薬剤師の資格いかさないともったいない!!と思うかもしれないけど、自分がやりたいことやるのが、一番要領よくできるんじゃないかと。
とか、言いながら、
かーちゃんがお金出してくれて、大学出してくれたから、今がある。
留年におびえながら、がんばった4年間もある。(わたしの時代は薬学部4年制だったんです~)
とも思うので、すっぱり捨て切れない自分もいるのです。
与論島で薬剤師をして、10年以上たちました。
なんだかんだ言って、薬剤師の仕事、嫌いではありません。むしろ、好きだからこんなに続けてこれたともいえます。
今、考えているのは、もう自分に都合のいいように、二兎追う者だけど、二兎とも得る!!
薬剤師の資格をいかしつつ、好きなことを仕事にしていく。
自分の肩書きを勝手に増やしていこうと思っています。
ホリエモンさんの「多動力」にも書いてありました。肩書きを増やせと。
今いる居場所で自分をしばっていてはいけません。自分の居場所?それ一箇所じゃないです。
いろいろなところへ行ったり、いろいろなことを知ったりすることで、自分が何をやりたいのか見えてきます。
人生は、自分が思っているよりもずーーーーっと短いのです。
ほんと、とーちゃんかーちゃんにも感謝しかないですが、わたしはずーーーと好きなように生かしてもらってたように思います。
これからは、履歴書を埋める肩書きをどんどん足していけるように、自分で生きていきます。
離島大好きな薬剤師さん、意外と多いのではないですか??
この際、無料登録だけでもしておいて、夢につなげましょう。思ったら、すぐやる!!これが大事。
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