『与論島って、妊娠島って呼ばれてる島だろ?』
いきなりすみませんが、これは、わたしが地元の職場で、与論島へ移住することをわたしよりひとまわりくらい年上のおっさんに報告したときに、言われたセリフです。
あらためまして、こんにちは。
13年前、与論島に単身移住してきた、はなアンニャー(@hanadeso3)です。
『だんなさんと結婚するから与論島に来たんでしょ?』
って、よく聞かれるんですが、違いますよ。与論島に来てからたまたま出会ったんです。
そして、たまたま縁があって、結婚して子供が生まれて、10年以上たつわけですが、あの時、『妊娠島』と言われたことが妙に記憶に残っているんです。結局、わたしも『妊娠島』で妊娠したわけで。
これは、ある時期、与論島が大ブームになって、島からあふれるほどの観光客がやってきて、心も軽くなっちゃって、ついつい?妊娠しちゃうことが多かったからこう呼ばれていたと聞いております。
昔の与論島は、すごかった!!
よく聞く言葉なんですが、そういえば、昔の与論島のことはまったく知りません。
大ブームが起こった頃の与論島のことを書いてみました。
目次
昔の与論島に関する証言まとめ
本当にすごかった!!とその時代に与論島にいた人たちに言われることをまとめてみました。
とまぁ、こんな感じで、最高にバブリーな時代があったようです。
さて、この華やかな話は、いつの時代の話なんでしょう???
じつは、与論島は今でこそ、『鹿児島県最南端の島』ですが、ひと昔前は、『日本最南端の島』だったときがあるんです。
第二次世界大戦後、沖縄が日本に返還されるまでの間、与論島は確実に『日本最南端の島』でした。
奄美群島が日本に返還されたのが、1953年。
沖縄が日本に返還されたのは、1972年。
この19年間の間、与論島は『日本最南端の島』として、観光業に力を入れていました。
いまでこそ、のんびりと、ゆったりと、まるで時間がゆっくりと流れているかのような島ですが、あの頃は非常ににぎやかで、騒がしい島だったんです。今から約40から50年位前ということかな?
今の銀座通りを見ると、想像できませんが。
1970年前後は、与論島だけでなく、日本じゅうで離島ブームが巻き起こっていたらしく、どこの島にも若者が押しかけていたようです。
証言のとおり、与論島にはディスコがたくさんあり、夜な夜な若者たちが踊り狂っていました。
飲み屋街もずいぶんとにぎわっていたようです。
海水浴場には、昔ながらの写真でよく見るように、砂浜にカラフルなパラソルが山のようにざくざく刺さっていたといわれます。大兼区海岸にはたくさんお店があふれかえっていたらしいです。
あふれんばかりの若者たちが、与論島に集結して、仲良くなるなんてことはよくある話で、『妊娠島』と呼ばれていたのも、まんざらうそでもないのかもしれません。
いや~、わたしの生まれる前の話ですね。バブリーだなぁ。
今の与論島からはまったく想像できない・・・・
今は、静かに、与論島の自然に触れ合う意味では、ブームが来ているような気もしますけどね。
今の与論島もブーム到来?
昔の与論島の話を聞くと、びっくりすることばかりです。
正直、その頃の面影なんもないですからね。
今の与論島は、あの頃とくらべると、はて衰退してしまったのか?
確かに、観光客は銀座通りを埋め尽くしていません。夜なんて、誰も歩いていません。
ディスコなんか、今ではひとつもありません。今まで生きてきて、与論島以外でもディスコなんか行ったことはないですけど。
ホテルの数もなくなりました。
冬なんて、さみしいもんです。
でも、わたしが移住してきた頃は、ディスコこそありませんでしたが、夜も銀座通りはおじさたちがたくさん歩いていて盛り上がっていましたし、大きなホテルもたくさんあったし。
わたしくらいの年代のひとは、夜な夜な飲み歩いていたと思います。とゆーか、わたしが飲み歩いていました。そのとき、たくさんひとがいたと思うんですけど・・・
この10年間のあいだで、またずいぶん静かになったという印象なんですよね。
でも、不思議なことに飛行機はいつも満席で、なかなかチケットが取れない。
フェリーも満席になることがあるくらい・・・
テレビでもよく与論島を見るようになりました。
『死ぬまでに行きたい絶景』の百合ヶ浜です。芸能人さんもちらほら、来島されているようです。
健康ブームにもうまくのっかっています。きび酢とか、何度もテレビに出ています。
薬剤師が、与論島の長寿の秘密ときび酢の効能効果について調べてみました。
ある意味、与論島ブーム来てると思うんですけどね。
これは、昔と今では人間のパワーがちがうのか、めざす方向性が変わったのか。日本全体が変わってしまったのか。
40年前とはまったくちがうようですが、10年前とも変わってきた与論島です。
与論島は移住ブーム?
わたしもそうですが、与論島は移住してくるひと多いです。
正直、40年前のバブリーな与論島だったら、わたしは与論島に移住していなかったとも思います。
今の穏やかな雰囲気の与論島だからこそ、移住したくなったんです。
こうやって、移住してくるひとが多いので、もう少し移住支援制度が充実していると嬉しいです。
今度、また与論島に移住してくる予定のひとがちらほらいますが、住宅探しは苦労しました。苦労している?
仕事はなくても、自分で作ることができますが、住宅は簡単に作れませんからね。
個人では限界があります。
昔は観光ブーム。
今は、どっちかとゆーと移住ブームといったほうが正しい気がする与論島です。
まとめ
確かに、昔、足の踏み場もないほどに、観光客があふれていた時代があった与論島です。
夜は若者が踊り狂っていた与論島です。ディスコがあったのも1件や2件じゃないですよ、たくさんあったようです。
今は、それが想像もできないほどに穏やかな島になりました。
まぁ、よく考えたら、今の時代、日本じゅうどこにも夜な夜な踊り狂っているところはないですかね?
与論島の観光ブームは、あの頃の日本全体の姿だったといえばそうかもしれません。
あのスゴイ観光ブームのおかげで、与論島の経済も潤ったでしょうから、今の与論島があるのも、その頃があるからだろうと思います。
もし、日本最南端の島になれてなかったら、今は本当に寂れた島になっていたかもしれません。
今の与論島、わたしは好きです。
ある程度、便利なので、やろうと思えば自分でなんでもできる環境です。
静かで落ち着きます。
落ち着きすぎて、ボーっとしてしまいますけど。そこがいいところ。
ま、時代は繰り返すと言うので、もしかしたらわたしが生きてるうちに、与論島のディスコで若者が踊り狂う時代が再来するかもしれません。
それまで、わたしは元気に、今の与論島で暮らしていきたいと思います。
なんなら踊り狂う練習でもしておこうかしら??