こんにちはー!
まだまだテレビがないので、たまにスマホのニュースチラ見してる、はなアンニャー(@hanadeso3)です。
テレビがないもんで、天気予報もいまいちわからず、ふと見たら、いつのまにやら台風6号発生してて、いきなり直撃コースですと!?
だけど、もうそんなんは、どーしよもない。来るもんは来る。
それより、目についたニュースがありまして、
元、モーニング娘。の辻ちゃん、第4子妊娠を発表!!
なんと、まだ子供が3人だったのか!!もうすでに5人くらいいるのかと思ってました。
しかも、6年ぶりの妊娠って。
まだ30歳って!!
なんか、すごいし、尊敬するし、昔の自分の出産とかいろいろ思い出したので、過去に壮絶!?未熟児出産秘話、与論島出産事情とは?でも書いてますが、与論島には産婦人科がない。
問題はたくさん!
ついでに、掃除していると、未熟児で生まれた息子の生まれたときのアルバムが出てきて、掃除の手が止まってしまったんですよ。
それがもうあんなに大きくなって・・・・かなり感慨深いのです。
目次
与論島で、お母さんになる
与論島には、お母さんがたくさんいます。昔から、子沢山の島ではあるようですが、
最近は晩婚化、高齢出産も増えていて、一人っ子も増えている印象です。
不妊治療しているひともいるだろうし、そういった面では与論島だから、都会だからといったことはなく、なんの違いもありません。
ただ、違うのは与論島には毎日産婦人科のお医者さんがいるわけではない。ということ。
お産ができる設備がきちんと、そろっているわけでもありません。
与論島だけでなく、他の離島も似たようなものだと思いますが、赤ちゃんを無事に産むには別の場所に行かないといかんのです。
旅から来たお母さんは、大抵里帰り出産を希望する人が多いようです。
わたしも、最初は里帰り出産を望んで、地元の病院で検診まで受けたのに、その願いは叶いませんでした。
わたしは、一人目の出産の時に切迫早産になり、2ヶ月もはやく、息子を産んでしまったので。1682グラム。普通の赤ちゃんの半分。まだ、8ヶ月というと、肺ができてるかできてないかの微妙な時期・・・
ある日、沖縄に行って出産の準備をしていたら、突然の大量の出血。もう、山口に帰る余裕はないと、沖縄の病院に入院することになり、安静の日々を送っていたのに、再び大量出血。救急車に乗せられて、NICU のある、総合病院に搬送されました。
自分が患者として、救急車に乗せられて搬送されたのは、後にも先にもその一回だけです。
それまで、安静にしていて、安定すれば、まだ里帰り出産できる!と思っていた野望は捨てました。
総合病院に運ばれて、何日間かは耐えられたんですが、やっぱり限界は来てしまいます。
いきなり、陣痛。
今はまだ早い!と、赤ちゃんが出てくるところを縛る手術をしてみるも、
いろんな薬を試されるも、効果なし。
しかも、さっきまでよかったのに、なぜかこのときになって逆子に!!
早朝からいきなり、緊急帝王切開になって、付き添いも誰もいないまま、手術の同意書書いてくれる人もそばにいないまま、心細いお産となりました。
里帰り出産だったら、与論島でお産できていたら、産むときに一人ってことはなかったのに・・・って、今も思います。ま、結局、二人目も産んだとき一人だったんですけど。今まで誰にも立ち会ってもらったことありません(;∀; )
話を戻しますが、
想像していたより、肺が発達していた息子は、生まれてきた瞬間、おぎゃーと泣いてくれたのは今でも忘れません。
それから、しばらく保育器に入ることになります。体重が少なかったし、週数が足らなすぎるので確か1ヶ月くらいは、いたかなぁ?
お母さんは、悪くない。
保育器に入ってる間も色々あるんです。
おっぱいは、毎日しぼって凍らせて病院に運びます。
面会時間が決まっています。
黄疸が出ます。
未熟児は、いろいろな後遺症の心配があるので、たくさん薬を飲まないといけません。
薬の副作用が出たりします。
うちの息子は、かつかつ肺ができていて、人工呼吸器をつけることはなかったですが、ちょっと呼吸が悪くなると酸素マスクをつけられたりしました。
栄養を入れるために、鼻からチューブを入れて胃まで通したりもしました。
あんな、ちいさいものに注射したり、チューブいれたり、ほんとすごい。
小さすぎて、最初はさわるのも怖かった。
そして、だんだん罪悪感が大きくなるんです。
自分が、妊婦なのに走ったからだ!
自分が、妊婦なのに無理したからだ!
赤ちゃんが、入院している間、お母さんは一緒に入院することはできないので、近くにアパートを借りて、毎日そこから病院に通いました。友達も誰もおらず、ずっと一人です。
節約のために、テレビもつけず、乳をしぼり続ける毎日。
夜になると、涙が出てくるんですよね・・・自分のせいでこうなった。って、ばっかり考えて。
ほんと、実際に自分がこんな目に合わないと分かりませんけど、ものすごい自分を責めます。
誰かいてくれたら、まだ、心の行き場があったかもしれませんが、里帰り出産でもないし、与論島で出産したわけでもないので、ずっと一人でした。
赤ちゃんと一緒に入院できたらな~、まだよかったのに。
あんたのせいじゃないよ。
って、言ってくれる人が、そばにいてくれたらよかったな。
与論島に帰ってからも、難題は続く。
息子は、30週で生まれて、36週くらいまで入院していました。
それから先は、与論島に帰ってからです。この与論島に帰れる日がどんなに、どんなに嬉しかったことか。
里帰り出産、与論島で出産できなくて、沖縄での入院生活をよぎなくされたら、かなりの孤独感です。
人見知りの人は、さらに孤独におちいって、つらくなりやすい。
帰って、知ってる人に会えたときのうれしさは、ハンパナイですから。
赤ちゃんですが、退院したからと言って何の問題もないわけではありません。
未熟児で生まれた後遺症がないように検査したり、予防のために薬を飲ませたりする必要があります。
あるとき、お医者さんに
「発語が遅すぎるから、一度精密検査してください」
と、言われたり。別にえーやん、でしたけど。今では、わたしより流暢にしゃべくりますよ。
だけど、与論島には小児科の先生も、毎日いてくれるわけではありません。一ヶ月に一回だけです。
いない間になんかあったら、専門外の先生に見てもらうのは、なんとも不安だったり。
だから、わたしは
と、毎日お祈りしていました。
未熟児で生まれると、保険もなかなか審査が通りません。病気になる確率が高いからです。
何回か、嫌な思いをしましたが、なんとか保険には入れました。
こども園に入れるのも、苦労するんですよね。
うちの子の場合は、一歳になったときじゃなくて、確か最初の予定日だった頃、一歳2ヶ月くらいでこども園にいれた記憶があります。
沖縄の病気にも、定期的に通う必要がありました。
与論島に帰ってからも、ずっと不安感が続いたんですねぇ。
今では、何事もなかったかのように、丸々と太ってしまった息子が不思議でなりません。
もうすぐ、誕生日!!
息子は7月生まれなんで、もうすぐあの大騒動から10年になります。
特に、問題なく、(前半はいろいろありましたが)でかくなっています。
あんな、片手で持てそうだった未熟児は、もうでかすぎて、抱っこできません。
あっちがでかくなったからか、自分が歳を取ったからなのか・・・
10年たっても、あのときの出産大騒ぎのことは、鮮明に思い出します。あれは、わたしの人生において、衝撃だった。
その前に、今月は娘の誕生日。
娘は、息子とちがって、超安産だったので、逆におぼえてます。同じく、難産だったら、一人目が衝撃だったので、おぼえられなかったかもしれない。
娘は、ちょろって生まれてきたんです。またもや、誰も立ち会いなく。生まれるのが早すぎて、ばーちゃんと息子は間に合わなかったんです。まさか、あんなにぴょこっと生まれるとは、わたしも思ってなかったし。
痛みの段階が三段階アップしたのもわかったし、これ以上の痛みは来ない!もう生まれるな!とか、すごいわかった。
途中、あんまりにも余裕ありそうに見えたようで、看護師さん申し送りに行ってくると、陣痛室に一人にされたり。おい、さすってくれよ!!行くなよ!!でしたね~。
おかげで、出産後も疲れてないと見なされて、出産当日から母子同室にされてしまった。
ほんと、おなじお母さんでも、何が起こるのか、まったく予想できないな!!
出産は奇跡だ!
何が起こるかわからん。いくら、元気だったとしても。
誰も悪くないし、赤ちゃんはがんばって生まれてくる。
あ、娘の誕生日まで、あと2日しかないわ。何も用意しとらんわ~( ゚A゚ )