こんにちは。
はなアンニャー(@hanadeso3)です。
与論島に移住して、結婚して、子どもが生まれて、その子ども、長男息子氏もとうとう中学生になりました。
彼は、ふつうより2ヶ月早く生まれ、1682gという小さな赤ちゃんでしたが、すくすくと成長しまくり、いまや、わたしの身長167cmを抜かしてきそうないきおいので、ちょっとライバル心燃やしてしまっています。
わたしもあと3cm伸びて、170cmにならんかなーと毎日、背伸びをしているところです。
体重はあと5kg減らしたい。
体重だけは、すくすくと伸びていくんですが・・・あ、わたしの成長日記になってしまった。
目次
与論島の出産事情おさらい
さて、
与論島には、定期的に妊婦健診をしに来てくれる医師はいますが、常駐の産婦人科の先生がおらず、子どもが産める助産院もありません。
なので、出産するなら、里帰り出産か、近い沖縄か鹿児島で産むかのどちらかです。
そして、里帰り出産以外の場合は、1ヶ月くらい前からアパートなどを借りて、出産兆候が出るまで待機しておく必要があります。
与論島にマタ旅はつらいよ。産婦人科のない島の出産事情を知っておこう
わたしも最初は、里帰り出産のつもりで、地元で診察も受けていたのですが、切迫早産となり、絶対安静。
沖縄の産婦人科のある病院に入院し、それでももう我慢できんくなったところで、NICUのある総合病院に搬送され、そこでちょっとだけ耐えて、30週で生まれてきました。
まぁ、最初は保育器に入ったり、胃まで管を通されたり、いろんな薬を注射されたり、飲まされたり、と、生まれてすぐから、けっこうがんばってきた息子氏です。
与論島に帰れたのは、生まれてから2ヵ月後の、生まれる予定だった時期でした。
沖縄のNICUに入院している間は、わたしは近くのアパートを借りて、一人暮らし。
毎日、何回も乳をしぼって冷凍し、それを決められた面会時間に病院に持って行くを繰り返しました。
与論島から、近いようで遠い沖縄なので、誰か家族が頻繁に来れるわけでもありません。
沖縄に親戚もいなければ、友達もいませんでした。
そういえば、山口のかーちゃんがいっぺん、お見舞いに来たのかと思いきや、沖縄観光にやってきたのにはさすがだな!!と思いましたけど。
そんな感じで、与論島の出産というのは、わりと孤独との戦いでもあります。
わたしは、息子氏のときも、娘ちゃんのときも、誰も立ち会う人がいませんでした。
あとは、やっぱり、近いといえども、家族と離れて、遠い場所で産むことになるので、とても大変です。
ちなみに、娘ちゃんのときも切迫早産になりました。結局は、耐え抜いて、予定日よりも遅れて生まれてきたんですが。
最初は、自分の生活態度のせいかと思ってましたが、こりゃ体質ですね。
与論島教育事情おさらい
最近は、子どもが生まれて、すぐに仕事に復帰する人も多いですが、わたしはきっちり1年間休みました。
その間は家にいたので、大丈夫ですが、仕事が始まれば、保育園にあずけないといけません。
その頃、与論島にはこどもえんが4つありましたので、都会のように待機児童問題などはなく、一緒には住んでいませんが、じじばばも島内にいるので、わりと、子育ては楽にできたのではないかと思います。
たまに、精神不安定になって、発狂することはありましたけど。
大体、これは男の人の態度が悪かった!!と思ってます。本人は気付いていません。
まぁ、今となっては、もういいです。今、ウザイくらい子どもにべたついているので。
息子氏は、未熟児合併症の心配があったので、定期的にしばらく小児科に通いました。
最初のうちは、沖縄の小児科の先生のところに。
落ち着いてくると、月イチで与論島に来てくれる小児科の先生のところに通い、しばらくは合併症予防のための薬を処方されていました。
今は、特に合併症もなく、元気です。
そして、そのまま、小学生となり、ちびっこだった息子氏は、なぜかなぜかの小太り男子に成長していきました。
ほんと、そんなに食べるわけでもないのになぜ、こんなに丸くなってしまったのか・・・・
と、
もんもんとしていたら、小学6年生になったあたりから、急に痩せ始め、シュッと縦にのいる現象が。
いやはや、子どもの成長とはおもしろいものです。
そんなこんなで、息子氏も娘ちゃんも、特に大きな病気もなく、元気に今まで過ごしております。
小学校は、この小さな島内に3つもあり、そして、中学校で3つの小学校の生徒が1つの中学校に集合する仕組みです。←息子氏、イマココ。
わたしとしては、小学生になると、こんなにも親の出番が多いのか!!と、びっくりしています。
なんとなくですが、与論島は親の出番が多い気がします。
与論島中学生のはじまりはじまり~
さて、とうとう、未知の世界、中学校生活が始まった我が家。
中学校では、与論島の全13歳が集合するのです。59人しかいません。
小学校では、男子が6人しかいなかったので、これはこれで楽しみです。
正直、いまいち情報がなくて、どんなもんかわかりません。
茶花から、あのぴゃーぬぱんたをえっこら自転車を押して登って行くのは、わたしには無理です。
初めての学ラン。
自転車の後ろにに荷物を巻きつける、わたしもやったことがありません。
部活動、何に入るかめっちゃ悩んでる。
初めてだらけの、中学校生活。
3日目にして、学校から電話が2日連続でかかってきました。
初日は髪型、眉毛を注意され、←とーちゃんの好みのせい
翌日は、書類未提出←これはわたしが悪い
まぁ、初っ端から、問題家族ですが、きっとあっとゆーまに3年間すぎていくはず。
だって、入学式の日、もう卒業式の様子が思い浮かびましたからね。
とりあえず、友達ができて、楽しく学校生活を送ってくれたら、それでいいです。
小学校の6年間を過ごす仲間、
そして、中高の6年間を過ごす仲間、
これから大事な6年間ですよ。
息子氏は、与論高校には行くかどうかは知らんですけどね。
でも、これからもっと活動が自由になり、友達と釣りに行ったりするようになるのでしょう。
自然に囲まれた子育て、というか、子どもの成長はやっぱりいいことです。
そこは与論島での子育ての最大のメリットです。
コロナ禍で、完全引きこもりのときでも、海があったから、子どもたちはストレス溜め込まずにやってこれました。
そこは、本当によかったところです。
コロナでオンラインが拡がったことで、子どもたちの将来の選択肢も増えました。
悪いことばっかりでもなかったですよね。
これからも、理不尽なことがたくさんあると思います。
だんな氏は、『学校は理不尽を学ぶ場所だ』と言っていました。
息子氏には、呪術廻戦のナナミンのセリフ、
「君はいくつか死線を越えてきたが、でもそれで大人になった訳じゃない」
「枕元の抜け毛が増えていたり、お気に入りの惣菜パンがコンビニから姿を消したり。そういう小さな絶望の積み重ねが、人を大人にするのです」
を送ります。完全に自分の好みです。
と、ココまでが今までの子育て日記総まとめでした。
子育てマンガは、アイフォンが割れて絵が描けないので、ちょっとさぼってます。
いや、ただ単にさぼってるだけです、ごめんなさい。
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