初めての与論島旅行 ~人生のターニングポイントは旅先にあり~

こんにちは。

はなアンニャー(@hanadeso3)です。

過去に、自分が与論島に来たきっかけなどを書いた記事があったのですが、読み返してみるとなんとも腑抜けすぎる内容だったので、あらためて書いてみることにしました。

わたしの人生の転機と言っても過言ではなかった、与論島との初めての出会い。

あの時、思いきって与論島に来ていなかったら、今の自分はなかったと思うと正直、怖いです。

はなアンニャー
自分予想では、あのまま山口の実家暮らしをしていたら完全なる干物女として、大変なことになっていたはず・・・

あのとき、与論島に来て本当によかった。

 

目次

人生に挫折し、人間嫌いのまま、山口県に帰る

 

まずは、わたしの社会人になるまでの流れをご説明します。

わたしは、地元の高校を卒業してから、神戸の薬学部のある大学に進学しました。

薬学部に行ったのは、ただそのときの将来の夢が医療系の仕事にかかわりたいと思ったこと。

塾の先生の妹さんが、薬学部に行ってよかったからとすすめてくれたこと。

かーちゃんは保健師か、学校の先生にさせたかったみたいだけど、自分には向いていないし、反抗したくて。

というそれぞれの思惑が合体して、薬学部に行きました。なぜか、奇跡的に合格できたのは、やっぱり教育ママだったかーちゃんのおかげだと思っています。

だけど・・・・・大学に入ってから、

はなアンニャー
本当に薬剤師として働けるの?自分、コミュ障のくせに、誰ともしゃべりたくないくせに。

と、ずっと思っていました。

薬学部のひととは、ちょこっとしか友達ができませんでした。

自分は、人見知りでコミュニティー障害、患者さんと話ができるとは思えない・・・というか、たくさんの人間と関わる仕事したくない!!

そこでまず考えたのが、大学院進学。

はなアンニャー
これなら、研究に没頭できて、人とあまり関わらなくていいかもしれない!!
はなアンニャー
大学院なら、国立大学も受かるかもしれない!!

(と勝手に思い込んでいました。)

(正直、バカですね。)

だけど当たり前ですが、大学院受験は失敗。

行き場を失ったわたしは、しょうがなく、親の言うことを聞き、地元の病院に就職することになります。

もう勝手にいつのまにか、就職が決まっていました。さすが、田舎!!

 

お気づきかもしれませんが、

ここまで、自分でこうなりたい、どうにかしたい!と思って行動したことは何もありません。

○○したくないから、じゃーこれしとこう。

といった感じで、若い頃は、嫌なことから逃げてばかりいたんです。

 

ですが、この大学院失敗して地元に戻ったことが、わたしが与論島という場所に行くことになったきっかけになります。

 

与論島に誘われる

 

地元の病院に就職した、初めての夏休み。

病院の先輩に、毎年鹿児島県の与論島にダイビング旅行に言っているから一緒に行かないか?と誘われました。

正直、旅行費用がかなりかかります。

このころは別に旅行に興味もなかった。

ダイビングもやらないし・・・・海で泳ぐのめんどくさいし・・・

はなアンニャー
長いこと仕事休めるし、行ってみるかなぁ・・・

この頃、毎日先輩に怒られてばかりで、すでに病院薬剤師の仕事が向いていないと思い始め、辞めたいと思い始めたところでした。

科学捜査研究所の試験を受けたり(もちのろんで不合格)、誰か遠くに住む結婚相手を探したりして、また逃げることを考えていたんです。

 

でも、ふと思い出したことがありました。

大学のときに、寮のお隣の部屋だった栄養学部の友達が、ヨロン島に行ったことが今までで一番の思い出だとノートに書いていたことを。

あのとき、お隣さんが言っていた与論島、どーせ行くところもないし・・・・

とゆーわけで、すごい偶然だなと感じながら、高校のときの友達も誘って与論島に行くことにしたんです。

じつは、この友達が一緒に行ってくれなかったら、多分与論島行ってなかったと思います。

わたしは、今でこそこんなですが、昔はビビリだったので。

 

神様はどうにかして、ワタシを与論島に行かせたかったようです。

 

与論島に人生初上陸

 

さて、そんなこんなでやっとこさ、与論島初上陸の話です。

与論島に降り立った瞬間、変な気分になりました。

これはすごいおぼえてます。

はなアンニャー
なつかしいな、ここ。将来住みたい。

なんでか知らんけど、すごいなつかしい感じがしたんです。

もう、住む!!ってなりました、これ不思議だけど。

すごいいい天気で、暑い夏の日で、飛行機を降りた瞬間、もわっときた風は暑さだけじゃなかったみたいで。

 

与論島では、ひたすら観光しました。

百合ヶ浜行ったり、バナナボート乗ったり。体験ダイビングはしたかな?

3泊4日くらいだったと思うので、与論島の遊びはけっこうやったんじゃないでしょうか?

百合ヶ浜に渡ったときは、この青い水は飲めるんじゃないかと思って、思いきり飲んでみたら、ものすごく塩辛かった想い出があります。

それ以外は、泊まった与論島ビレッジのご飯がおいしすぎたのと多すぎたのとがすごい記憶に残っています。

でも、一番心に残ったのは、一番最初の

なつかしい、住みたい。

と思ったこと。

そして、与論島から山口県に帰る日、なぜか飛行機に乗った途端、さみしくなって涙が出ました。

これ、誰にも見られないようにするの必死でした。

 

ここから、わたしの与論島通いが始まったのです。移住するまでに、1年に3回は行ってました。

そして、旅というものに魅力を感じ、与論島以外にも、いろいろなところへ旅行するようになります。

与論島に来てしまったことで、なんかのスイッチが入ってしまい、積極的に行動を始めたんですよねぇ。

 

そして、そこから、早く一人前になりたくて、そうして早く与論島に移住できるように、仕事をまじめに取り組むようにもなりました。

そして、その流れに乗るかのように先輩がどんどんと寿退社していき、仕事ができるようにならざるを得なくなるという環境も手伝ってくれました。

 

初めて与論島に上陸して、4年。

まるで、ひきつけられるかのように、与論島に移住することになりました。

 

人生、何が起こるかわからない。人生は一度きり。

 

ほんとに、失敗かと思われていた、適当に決めた大学進学、大学院失敗、嫌だった地元病院への就職、すべてが与論島につながる何かだったんじゃないかと思う今日この頃です。

あのとき、

薬学部に行っていなかったら、

大学院に行っていなかったら、

地元の病院に就職していなかったら、

そしたら、与論島に毎年行くようなひとに出会うことなんて、多分なかったと思います。

与論島に来ることもなかっただろうし、今ここにいることもなかったかもしれません。

 

本当に、人生何が起こるか分かりません。

アンテナは常に張り巡らせておく必要があります。

それが、そのとき失敗だと思うことも、後からプラスにつながるきっかけになるかもしれません。

何か、新しい出来事が迷い込んできたとき、思い切って行動するか、やっぱヤーメタ。となるか、これで、ずいぶん未来は変わります。

やめたことで、プラスになることもあるかもしれません。

でも、あのときこうしておけば良かった・・・と思うのは嫌ですよね。

確かに、あんときこうしなければよかった・・と思うこともあるかもしれませんが、それはまだやり直しができたり、修正することができますが、あんときやっておけばよかったと思うことは、もうできないことなんです。

あんときは、二度と来ない。

 

 

失敗してもいいから、どんどん行動しましょう!

それ、実は失敗じゃないかもしれないので。

いや、失敗じゃなくて、未来の何かにつながる過程の一部でしかないです。

 

人生は一度きり!!

そして、残りの人生は考えているより、ずっと短いですぞ!!

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

【人見知り与論島全力案内人】 22歳、初めて訪れた与論島に運命を感じて、26歳で山口県から与論島に移住→そのまま、結婚してかーちゃんになっちゃった!! ワイン大好きぴちぴちのアラフォー薬剤師。 与論島の旅行や移住、田舎暮らしについてブログで全力発信中。 ツイッター、インスタグラムもやっています。