こんにちは。
はなアンニャー(@hanadeso3)です。
もう正直、何年前に与論島に来たんだか分からなくなってます。
じつは本日、けんぽく@『見える化ブロガー』(@kenpokufriends)さんに、見える化シートというものを作っていただいたのですが、
それで気づいた、目からウロコな部分がありました。
目線が島人目線になってる
わたしは、山口県から移住してきたのが持ち味?なのに、なんてこった!
と心に誓ったところなんです。
けんぽくさんの見える化シートについては、後日ブログに書きたいと思います。
で、初心に戻ろう!!
と、心に誓ったとき、立て続けに電話をかけてきたのが、山口の実家のとーちゃんとかーちゃん。
台風8号が来るのを心配してのことでした。もう40歳になりそうなおばちゃんなのに、やっぱりまだ子供なんですな。
この人たちが、いなかったら自分は、ここにいないなぁ。自分は、山口から与論島に来てるから、書けることいっぱいあるんだなぁ・・・と再確認。
タイミングいいなぁ、さすがだなぁと思いましてね、一年前に書いた両親への手紙的な記事をいま、書き直してみようと思います。
このブログのことは、とーちゃんかーちゃんは知らないはずなので、読まれることはない、ハズ。
結婚式でさえ、両親への手紙は読んでいないわたしです。(かーちゃんに拒否られましたし、わたしも読みたくなかった)
目次
与論島への送り出し方~とーちゃんの場合~
11か、12年前。(ほんとにわからない)
わたしが、山口から与論に移住したいと親に告白したとき、
うちのとーちゃんは、別に怒りはしなかったが、自分の昔話を始めました。
『とーちゃんも、昔ブラジルで農園がやりたくてじーさん(わたしのひぃじいさん、会ったことない)に言ったけど、じぃさんがめっちゃ怖くて怒られて行けなかった。
でも、そのとき今自分がいる場所でがんばろうと決めた。
別に、ブラジルじゃなくてもやりたいことはできるはずと思って、今こうして山口で農業してる。』
行くなとは、言わず、遠回しに
どこにいても、そこでやれることはある。
与論島じゃなくても、好きなことはできる。
と言いたかったみたいです。
でも、自分の娘は、やりたいと言い出したら聞かないとわかっていたみたい。これは、かーちゃんも同じだったようです。
自分ができなかったことを、娘がやろうとしてるのは止められなかったんでしょう。逆に、うらやましくもあったのかもしれない。
今では、とーちゃんは脱サラして、山口でねぎの水耕栽培を始め、農場を開き、日本中に農業を広めています。
山口でやりたいことやってる!!!とゆーか、山口からはみ出している!
今でも、よく電話がかかってきますが、
「いま、東京」
とか、
「今日、大学で講師やる」
とかアクティブとーちゃんになってます。ある意味、娘に自慢をしてくるんです。
もうちょっと歳とったら、与論でも農業やりたいと言ってたので何年後か先には、与論島にも農場2号店ができてるかも!?
与論島への送り出し方~かーちゃんの場合~
こちらは、超大変で、周りのひとにもめっちゃ迷惑をかけたらしい。
かーちゃんは公務員で超安定志向なので、わたしととーちゃんとはいつも気が合いません。なぜなら、父親と娘は、好きなことをやる自由人だから。安定とか無視だから。
思ったとおり、与論行きも全力で止めに来ました。
いや、よく考えたら、ただの与論島移住は
「いつか、そう言うと思ってた」
と、意外にも冷静なお言葉。
しかし、
「ただし、一年間だけね」
と条件付きにされたんでした。
怖かったのは、結婚したいと言ったときです。
めっちゃ怒って、人間が壊れたんじゃないかと思うくらい。わたしも、人格否定された気分で、落ち込みました。
そのときは、山口に里帰りしていて、家にいられなくなり、友達と海辺でグダグダして里帰り期間を過ごし、何も解決しないまま与論島に戻った記憶があります。
それから、半年間、完全なるシカトをぶっ濃かれて、これは親子の縁を切るとか言い出してるかもしらんと思っていたら、半年後。
山口へ、「娘さんを僕にください」をしに行ったときに、態度が激変。まるで、何事もなかったかのようにふるまってくれました。
1年間の約束も守れず永住することになりました、ごめんなさい。
でも、与論島に移住すると言ったときから、こうなるんじゃないかなと感じていたらしい。
さすがやな、かーちゃんは。
与論島への送り出し方~弟の場合~
優秀な、3歳年下の弟は
「うちのことはいいから、はやく結婚してくれ」
と、大人の対応をされました。
彼は、わたしより早く結婚して、去年、実家の隣におうちを建てました。
できた弟じゃ~。
あんたがいれば、心配いらんだろうが、もう少し冒険してみてもいんじゃない?
と、自由人の姉は思ってます。
いつか、助けてあげたいもんだけど、いつも問題ばかり起こす姉貴で申し訳ない。
しかし、我がとーちゃんかーちゃんを見ていると、
まったく間逆な夫婦だから、今までどーにか、かーちゃんが超絶ヒステリーでも、今まで夫婦のままでいられたんだろうなぁ・・・
しかも、お互い自立して、依存してないのもいい。
なんだかんだ言って、なんも用事ないのに別々の場所にいるのに同じタイミングで、電話かけてきたりするし。毎回、びびる。
でも、かーちゃんもわりかし自由で、ある日とーちゃんから電話かかってきて、
「かーちゃんがうちにおらんけど、与論島行ってないか?」
と、雑な電話がかかってきたときがある。かーちゃんは与論島には来てなかった。
でも、時間差でかーちゃんから、
「お母さん、今、鹿児島のなのはなマラソンの応援に来ちょるほ~」
とお気楽な電話がかかってきた。
なんじゃそら?と笑った記憶があります。
弟がドライで、空気読めるから自由すぎる人たち勢揃いなのに家族でいられたんだろうなぁ・・・
としみじみ思う今日この頃です。
弟がいちばんエライ。
一人っ子だったら、絶対許されてなさそうだし、弟が今の弟じゃなかったら、今、与論島にいませんでした。
与論島の家族へ
最近は、若者がいっぱい移住してくるけど、みんな隣近所に来る感覚で来ている感じです。
与論島、気に入っちゃったから来ちゃった~YO!みたいな。(おばちゃんの偏見)
親も特に反対しないらしい。
うらやましい、ようなそうでもないような。
昔と比べて、寛容な親が増えている。とゆーか、親も若いんでしょうな。
でも、本当はさみしいんだと思うよ、とーちゃんかーちゃん。
わたしはもっと、親孝行しとけばよかったと思う。家族旅行も、大人になってからやってみたかった。
いまでは、やっときゃよかったがあふれてきます。自分もかーちゃんになったからかな?
昔のアルバム見たら、記憶にはいっさいないのに、ディズニーランドやらオランダ村やら雪山やら、いろんなところでとーちゃんかーちゃんと一緒に写ってる写真があるんです。
あの人たち、あんなにいそがしかったのに、いつのまに、あんなにお出かけに連れて行ってくれたのか不思議でなりません。
だから、今度は自分が、自分の子どもたちをいろんな場所に連れていってあげたいと思うんです。
が、正直、どこにも連れていってあげられてない。
最近は、
とか言い出しました。
さぁ、どーしましょう??
いま、わたしにはひとつ夢があります。
だんなさんには、そんなデカイこと言って、知らんぞ?と言われましたが、わたしはいつかやりたい。いや、やります!
と、与論島のとーちゃんかーちゃんに宣言しました。
じつは、誰も山口県にゆっくり行ったことないんです。
「娘さんを僕にください」のときも、一泊二日の超弾丸旅でした。
夜について、朝早く出発しないといけないので、明るい時間にさえ、山口県を見ていないんです!
わたしは、与論島も好きですが、山口県も大好きなんです。
だから、与論島の家族にも山口県を見てほしい。
なんか、こないだ急に思いついちゃって、いつかブログで宣言しようと想ってました。
ほんと、いつになるかわからない話ですが、この野望は、絶対叶える!!
とゆーわけで、はなアンニャーは初心に戻って、童心に戻ります!?
・・・手紙でもなんでもなかったわ。