こんにちは。
山口県から与論島にはるばる移住してきて13年の、はなアンニャー(@hanadeso3)です。
山口も田舎でしたが、与論島も田舎。
そして、与論島には山口県にはなかった独特の風習や文化があるんです。
実際に、与論島の文化について学びたい場合は、サザンクロスセンターに行くのがおすすめです。
今回は、なかでも与論島に来て初めて聞いた風習4つについて書いてみました。
コレを読めば、与論島の謎を知ることができます。
目次
与論島では本名とヤーナーの2つの名前がある。
テレビでも話題になった、与論島のヤーナー。
家名と書いてヤーナーと読みます。
与論島生まれの人は、生まれたときにお父さんお母さんや他のひとが付けて戸籍に登録する本名とは別に、もうひとつ名前がつけられます。
それがヤーナー。
ヤーナーは、子供のおじいちゃんおばあちゃん、ひいおじいちゃんひいおばあちゃんのヤーナーをもらうのが一般的。
与論島の方言で、由来は諸説あるようですが、生活に身近なものの名前からとっているものが多いようです。
自然や日用品ですね。
与論島のこどもえんや学校では、子供たちのヤーナーが貼り出されているところもあります。
与論島の中では、ヤーナーのほうがメジャーで、本名が知られていないひともたくさんいます。
いろんな人が、同じヤーナーなのに、
ジャーといえば、あの人ね。
みたいなことも。
ちなみに、わたしは山口県生まれなのでヤーナーはないのですが、名前に『はな』がつくので、もう『ハナ』でいっか、みたいな感じになってます。
移住したひとや、お嫁に来た人でも、ヤーナーはもらえるようですよ。
与論民俗村に行ってみると、ヤーナーについても教えてもらえます。
与論島の与論民俗村は、PayPayが使えてビックリ仰天!オリジナルお土産も嬉しい!!
そして、与論島民全員がヤーナーを持っているわけでもないらしい。
息子氏は、じーさんのを受け継いで、『ジャー』
娘ちゃんは、ひぃばあちゃんのを受け継いで、『ナビ(鍋)』
ヤーナーは、生まれる前から決められている、という話でしたが、うちの息子氏は最初は
と、孫に受け継ぐはずのじーさんがしぶっていましたが、やっぱり・・・と結局ジャーになった感じです。
名前によってイメージみたいのはありますねぇ。
確かに、ジャーはサイタラ(酒飲み、酔っ払い)が多い印象があります。
他にも聞いたことがあるだけでも、
『ハニ』、『ウシ(牛)』、『カミ』、『マチ(松)』、『ヤマ(山)』、『チュー(千代)』、『サブル』、『タラ』、『マニュ』、『トゥク(徳)』、『マサ』、『ウトゥ』、『タマ(玉)』、『マグ』、『ムチャ』
など、まだまだたくさん!!
珍しいのでは、『ユニ』というのがあるのを最近知りました。
どうしてもヤーナーがかぶってしまうので、知り合い、親戚はヤーナーがかぶっているひとが多く、正直、誰のことを言っているかわからないときがあります。
親戚関係は、年代によって、ウジャ(方言でおじさん)やヤカ(おにいさん)などをつけて区別して呼んでいます。
家族の中だけではヤーナーで呼ばれることも多いようですよ。
名前が2種類あると、けっこうややこしいですが、それが与論島でずっと引き継がれてきたご先祖様との絆です。
与論島の風葬、そして土葬と洗骨
わたしが移住してきた頃には、与論島にも火葬場ができていて、土葬という風習はなくなっていましたが、洗骨という風習はまだ、洗骨されていないひとが残っていた、残っている?のでたまに行われていました。
明治時代までは、与論島では岸壁の洞穴などに遺体を安置して、白骨化を待つ、「風葬」というのが一般的だったそうです。
風葬は、明治になって禁止され、それから「土葬」に変わりました。
土葬した棺の上には、棺蓋(がんぶた)と呼ばれる木製の家を据え、
『死後の世界でも同じように暮らせるように』
との願いを込めて、生前に愛用した身の回りの品や好物を供えるのです。
今も、この棺蓋は与論島でもちらほら見かけることができます。
そして、埋葬後3~5年たったら、骨を掘り出して、海水などできれいに洗う「洗骨」を行います。
遺族は、遺骨に触れて故人を懐かしみ、骨を洗うことで、海のかなたの浄土に導き、ようやくこの世とのお別れとなるそうです。
最近、『洗骨』という映画もありましたよね。与論島だけの風趣ではなく、沖縄の離島や奄美群島で行われています。
映画館のあるところに行ったら、ぜひ見てみたい映画です。
みなさんも与論島に来る前に、映画を見てくると、また変わった気持ちで島のことを思うかもしれません。
2003年に、与論島にも火葬場が建設されました。
すると、
「子や孫に洗骨の負担をかけたくない」
との思いから火葬を選ぶ人が増えていて、今ではほとんど土葬される方はいません。
与論島のお墓はほとんどが海のそばにあります。島の外側をお墓が守っているような気持ちになります。だからか、与論島のお墓はあまり怖い雰囲気はしないのです。
わたしの実家のお墓は山の中のジメジメしたところにあって、少し暗い雰囲気なのですが、与論島のお墓は明るい感じがします。
お墓の近くに、人気の海岸への入り口が多いですが、怖くないので、安心してお通りください。
そして、与論島のお墓は、いつもきれいに手入れされているお墓が多い印象です。
ご先祖様をとても大切にしているのがよくかわります。
与論島は先祖崇拝の島、親を大事にする島
与論島のひとは、親をとても大事にしています。
まだ病院で働いているときは、病院や施設に入っている両親の食事介助をしている息子さん、娘さん、お嫁さん、子供さん、とても多く見かけました。
都会では、あまり見かけない光景だったので、与論島ってすごい親を大事にする島なんだなと感じたことがあります。
家で、高齢の両親の介護をされている家庭も多く、もう少し、在宅医療を助けてくれるサービスが充実してほしい今日この頃です。
これは与論島だけでなく、日本全体にいえることですが、高齢化がどこよりも進んでしまっている離島地域では急いで、解決しないといけない課題でもありますね。
与論島では、生きている家族だけでなく、ご先祖様に対して敬う気持ちがとても強いです。
与論島では、先祖から命を引き継ぎ、先祖に守られ、生かされているという考えがあるからです。
自宅に神棚を置き、毎朝お供えし、手を合わせて感謝するのはもちろん、当たり前のこと。
お盆や年忌には、ご馳走を用意し、ご先祖様をお供えします。
与論島では、33回忌になると、家に宿った故人の魂が天に昇り、家族を見守る守護神になると信じられていて、33回忌はとても盛大にお見送りが行われます。
昨年、33回忌を初めて体験しました。
うちは、そんなに親戚が多くないので、いつもこぢんまりと親戚活動が行われるのですが、この日は島外からもひとが帰ってきて、いつもよりも盛大に儀式が行われました。
死は自然の摂理ととらえている与論島では、死は終わりではなく、死後も魂は生き続けているという考えがあります。
たしかに、お盆などで親戚が家に集まると、山口にいた頃は、決まったお経を唱えている感じでしたが、与論島では、家主はご先祖様に話しかけ、感謝の言葉を述べています。そして、一緒にご飯を食べているような雰囲気です。
お墓参りも、けっこう頻繁に行われていて、島じゅうにお墓がありますが、どこもきれいにされています。
与論島のお墓には、ハイビスカスなどの色とりどりの花が飾られているのも、とても明るくていい感じなのです。
ちなみに、与論島に管理する人がいないひとや、高齢や体調面、忙しいひとのために、オーシャンマーケットではお墓参り代行をしています。
こちらを利用されて、島にいなくてもお墓を守り続けていらっしゃる方もいます。
ぜひご利用ください。
【与論島オーシャンマーケットの仕事】お墓参り代行サービス始めました!
与論島は、人生の最期は家で迎える幸せな終末医療
与論島では、病院で最期を迎えるということはあまりなく、ほとんどのひとが息があるうちに自宅に帰ります。
この風習は、わたしが与論島に興味を持ったときに特に気になったことでもあります。
だから、与論島の病院にはあるはずの霊安室というものがないのです。
与論町でも自宅死の割合は、50%以上で、老人ホームや病院がある市町村の中では第1位なのだそうです。全国平均は10%前後。
与論島では、病院に入院していたとしてもいよいよ呼吸が止まりそう・・となると、よほどの家庭の事情がない限り、ほとんど最後は退院して自宅に帰ります。
これは、家に魂が宿ると考えられているからで、病院で亡くなると、魂は病院にいるままで家に帰れなくなってしまうからです。
そして、最期は家族に見守られながら、息を引き取ります。
それから、病院に医師を呼びます。最期の時間は家族だけで過ごすのです。
わたしも、一度、だんなのおじいちゃんのときに体験しました。
家族も準備ができてますし、家に帰ってきた安心感からか、最期は本人もとても穏やかな顔でした。
もしも、自宅に間に合わなかった場合は、「ヌジファ」という抜魂儀礼を行い、魂を自宅に呼び戻すという特別な儀式を行う必要があるそうです。
与論島の島民でなくとも、やっぱり死ぬまで自分の家にいたいと思っている人はたくさんいるはずなんです。
うちの実家のおばあちゃんもずっと最期は家に帰りたい家に帰りたいと言っていましたが、どうしても体制が整っていないので叶いませんでした。
それを、当たり前のようにやってきた与論島。
最新医療などはできないことが多いですが、自分が望む最期を迎えられるのは幸せなことです。
現在は、島に家族がいない方も増えているので、延命治療をお願いされる方も多いようですが、自然なカタチで最期を迎えられるようにこの風習はずっと残ってほしいですね。
自分も最期は自宅がいいです。
無理な延命もしなくていいです。自然な死というものを迎えたいです。
与論島は家族が生活の基本。家族を大事にしています。
与論島に来て、思うことは、
でした。
いまや、核家族が増え、親戚同士の集まりもなく、親とさえほとんど連絡も取り合わないという家族も増えてきています。
わたしも実家とは特に仲が悪いわけではないけど、用事もないからほとんど連絡とっていません。
世の中が便利になったからというのもあるだろうし、
自分たちのことで精一杯というのもあるでしょう。
わたしの実家は、山口の山奥のめちゃくちゃ田舎ですが、それでもほとんど親戚の集まりなどなく、家族でどうこうすることもありませんでした。
お盆やお正月でさえ、です。それが当たり前のように思っていました。
そこから、与論島に来て、家族のつながりの強い与論島を見ると、最初はわーすげー・・と思ってましたが、なんだかうらやましくも思えてくるのです。
そして、与論島の独特な風習は、どれも家族やご先祖様を大事にしているからこそのものが多いことに気付きます。
ぶっちゃけ、めんどくさいなと思うときもありますけど、大事な風習です。
嫁に来ると、めんどくさい親戚づきあいですが、人にもよるし、結局自分次第なところもあります。
変えていくべきところは、堂々と変えていけばいいし、それも時代の流れです。
わたしも嫁に来て、これはおかしいだろ?と思うことはけっこう、口出ししたりしています。
意味もなく負担になることも、長く引き継がれてることも多いです。
なくしていいところはさっさとなくして、大事なところにちからを入れたらいいというのが自分の考えですので。
言いたいコトは言っとかないと、後からめんどくさいことになりますよ!
この与論島の家族愛のすごさ。
もう少し、歳をとってくると良さがジワジワくるでしょうねぇ・・・・